ウクライナの母娘が避難した福山
ロシアのウクライナ侵攻が始まって3年が経ちました。広島県にも、この戦争によって避難してきたウクライナ人がいます。中でも、アンナ・セメネンコさんとその2人の娘は、福山市で新生活を送りながら、家族の再会を願っています。彼女たちのストーリーは多くの人々に影響を与えるものです。
アンナの避難の決断
ハルキウという町で家族4人が幸せに暮らしていたアンナさんは、侵攻が始まった後、夫を残し2人の娘を連れて福山に避難しました。その決断は、今後の観が見えない状況の中で、子供たちの安全を最優先したものでした。アンナさんは、「もし子供が何かあったら、自分を責めると思った」と語ります。彼女の言葉には、母としての強い思いが込められています。
新たな生活への挑戦
福山市に避難して2年が経過し、アンナさんは日本語の学習にも力を入れています。日常生活の中で日本語を使う機会が増え、彼女は今や検定試験を目指すほど上達しました。また、長女エヴァちゃんは日本の小学校に入学し、リモート授業も受けています。これらは全て、新しい環境に適応し、自立した生活を築くための努力の結果です。
未来への不安と希望
生活支援金は期限付きであり、2025年には終了します。そのため、アンナさんは週に2回、福山市内のレストランで働き始めました。生活が不安定な中でも、彼女は「この笑顔を守るためにも、戦争が続く限りは帰れない」と強く抱いています。アンナさんの言葉には、将来への不安と共に、平和への願いが詰まっています。
終わらない願い
アンナさんが何よりも望むことは、「早く戦争が終わって、家族を会わせたい」という一つの願いです。彼女のストーリーは、広島で避難生活を送るウクライナ人の姿を映し出し、同時に平和の大切さを教えてくれます。このような静かな願いが、多くの人に受け継がれていくことを願ってやみません。
(取材担当:TSS報道部 石井百恵)
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